
2018/01/08 - 2018/01/08
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motogenさん
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ミンマン帝廟に到着しました。
ネットの天気予報は雨だったのに、真っ青な空がまぶしいくらいです。
旅の神さまに感謝して、ミンマン帝廟の土を踏みます。
お兄ちゃんに手招きされて近づくと、ちゃっかり駐車料金50円を徴収されてしまいました。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- バイク
-
フエを都としていた阮朝は、ベトナム最後の王朝で、後半はフランスに支配されて、名目だけの王朝だったのかも知れませんが、13代にわたり140年も続きました。
王宮を造った創始者はザーロン帝で、ミンマン帝は2代目となります。
阮朝が栄えた良き時代の皇帝です。ミンマン帝陵 建造物
-
カード型のチケットを買って(500円とちょっと高い)、
-
そのカードをスロットに差し入れ、駅のホームのように入ります。
自動化されています。
正門は皇帝専用の門で、閉鎖されていて、この門は左の脇門です。 -
池を見ながら進んでいくと、
-
象と馬と兵士たちの石像が並ぶ広場に出ました。
これらの石像は皇帝の魂を守っているといいます。 -
広場の南に、閉じられている正門がありました。
-
そして広場の奥にはお堂のような建物があって、中にミンマン帝の功績を刻んだ石碑が納められています。
-
これがその石碑です。
ガイドブックがあるから分ることで、なければ何も分らないでしょう。 -
石碑から奥を見ると、長~い石畳が伸びています。
「遠いね~・・」と歩きたくないような顔をする女房に、
「そうだねえ・・」と、相槌だけはうっておきます。
あの先にも、まだまだ続きがあるのです。 -
石畳の突き当たりにあるのが「顕徳門」で、
-
屋根の上には日の丸の飾りがありました。
神さまを象徴する鏡のようにも見えますが、銅鏡ではなく色は赤です。 -
顕徳門をくぐると、「崇恩殿」が現れました。
ミンマン皇帝と皇后の位牌が安置されている建物だと、ガイドブックに書いてあります。 -
あれがその位牌かな・・?
ガイドブックの事柄を、一つ一つ確認していく見学となっています。 -
崇恩殿の裏側には、次の門が待ち構えていました。
「まだ、あるの?」と女房は言いますが、まだまだあるんです。 -
鯉の泳ぐ池が現れ、その中央に木の橋が架かっています。
その先は一段高くなっていて、女房が嫌がる石段があり、そこに建てられているのが「明楼」です。 -
「明楼」の中には何もなく、空っぽ同然でした。
2階に上る階段がありますが、閉じられています。
そんなに高い石段ではなかったのに、息を切らし、腰をよじる女房で、しばし休憩しますが、 -
その奥にもさらなる参道が伸びていて、突き当たりが小山となっています。
参道の両側には池があり、 -
「三日月型の池の奥に、ミンマン帝の墳墓が・・」
とあるガイドブックの説明を確かめるため、トボトボと歩いて行くと、 -
こんなものが立っていました。
安っぽい遊園地のようにも見えますが、その背後が丘となっていて、 -
女房は「もうここで待っている・・」と言うので、
-
一人で登ってみるが、
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突き当たりには岩の扉があり、鍵で閉ざされていてびくとも動きません。
-
振り返り、かなり遠くまで歩いて来たんだなあ・・・と満足して、ミンマン帝廟を後にするのでした。
今一度ガイドブックを見れば、この墳墓の中にはミンマン帝は埋葬されていなく、どこに埋葬されたかは不明なんだと書いてあります。
それでもここをミンマン帝廟と呼ぶ、不可解で盛大な場所でした。 -
ミンマン帝廟を航空画像で見ると、こんな造りになっています。
これは自然の地形でしょうか?
それとも人の手が入っているのでしょうか? -
カイディン帝廟に向かいます。
西から回り込んで来たのですが、駐車場の前には東に向かう道があって、グーグルマップのルート検索では、その道が青線となっています。
その近道を行きます。 -
舗装されていない細道で、大小の石がごろごろしています。
そればかりでなく、はげしいおうとつの連続で、バイクはガクガクと突き上げられて、女房には酷な道となってしまいました。 -
この道を選んだことを後悔しますが、ここで引き返すのも無理で、歩くようなスピードで走ります。
周囲は森で、行き止まりになってしまうのではと不安になりますが、進行方向からバイクがやって来て、先は通じているんだと不安が少し和らぎました。 -
我慢に我慢を重ねながら走ると、人家も現れて、
-
右側には川の流れが見え始め、
-
ついに道が開けたのでした。
ぐるりとカーブすると、幹線道路の橋のたもとに通じています。
グーグルマップは便利ですが、こんな道もあって、信じ過ぎるとリスクを背負います。 -
橋の上では、
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あまりの景色の良さに、バイクを降りてその気色に見とれ、
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幹線道路から降りてその下をくぐると、前方から観光バスがやって来ました。
カイディン帝廟からの帰りの観光客が乗っています。 -
目的地までには数百メートルとなり、山の斜面に大きな屋根が見えてきました。
欧米人のバイクか追い越していきます。
カイディン帝廟は人気があるようです。 -
到着しました。
バイクを降りた道路の眼前には、急な石段がそびえていて、カイディン帝陵 建造物
-
ここでもカード型チケット(500円)を購入し、女房を支えながら登りきると、
-
広場となっていましたが、これは踊り場にすぎず、次の石段が待っています。
登っては休み、登っては休みながら、何とか石段を克服すると、 -
皇帝の業績を称えた石碑を納める、石のお堂が現れました。
ミンマン帝廟と同じです。
カイディン皇帝は12代目の皇帝で、最後から2番目となります。
この時代はフランスに支配されていて、皇帝の力がどの程度あったのかは怪しいですが、それでも石碑には業績が刻まれているのです。 -
石碑の前には、皇帝の魂を守る文官や武官、馬や象が並び、2つの塔がそびえています。
塔や建物のデザインはヨーロッパ風だといわれますが、フランスに支配されていた時代のこと、皇帝も西洋文化に憧れたのでしょうか。 -
石碑を納める石堂の背後にも、まだ石段があり、それを見ただけで腰をさする女房です。
-
カイディン帝廟はミンマン帝廟に比べてコンパクトで、自然の丘陵を利用しています。
3箇所(赤点)に石段か作られていて、青い点が石塊の納まる堂です。 -
石段の上にこの廟の主役「啓成殿」が見えています。
頑張って登りましょう。 -
啓成殿は白亜の宮殿でした。
西洋風の建築で、芸術的にも優れていると評判です。 -
そう言われて、柱や壁の装飾を一本一壁丁寧に見つめてみます。
-
内部の壁や天井は、中国の価値ある陶磁器や、日本のガラス製品が打ち砕かれて貼り付けられ、ステンドグラス風に仕上げられています。
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これを美しいと見るか悪趣味と見るか、人それぞれですが、金銭的には贅沢過ぎるものには間違いなく、人民が貧窮にあえぐ中でも、皇帝の財力は衰えていなかったのでしょうか。
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金箔で飾られた等身大のカイディン像の下には、見ることはできませんが、遺体が安置されています。
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フエの郊外には歴代の皇帝の廟が散らばっています。
しかし遺体のある廟はここだけで、他の廟には遺体がなく、遺体がどこに埋葬されているのかは不明とのことです。
廟とは何でしょうか? -
カイディン皇帝の写真が飾られていました。
フランスの支配の中で、どんな生活をし、何を思っていたのでしょうか。 -
フエ郊外の美しい山々を眺め、カイディン廟を降ります。
石段を降りるのは、登るよりも腰に負担がくるようで、杖代わりとなって女房を支え、一段一段慎重に降りていきました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- trat baldさん 2018/02/14 09:25:03
- 二度に亘る戦火の後を感じられない、素敵!
- その昔は飛び道具が殆ど無かったので山側に立つ者が優位だったし疲れて攻め倦む様に階段を多く取り入れたんだね。
廟に遺体を安置しなかったのは敵に奪われる事を恐れたのかしら、権力が磐石ではなかった様ですね。
腰痛の人は利き足側の手で手すり(壁)に掴まり反対側の腕を介助者の肩にまわす、介助者は患者の利き足側の腰とお尻の中間点を後ろ倒れしない程度に支える!以上介護の現場からのお知らせです(^o^)
Ps.今後まだまだ行けるチャンスは有ると思うけど奥さんガンバリ屋!
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