
2025/05/16 - 2025/05/17
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tomo_miichiさん
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*この旅行記は、ドイツ観光局の提供により投稿しています*
ゲーテ街道の8都市は、旧西ドイツと旧東ドイツの両地域にまたがっているのが特徴ですが、フルダは3つ目の旧西地域の都市。そして残りの5都市は旧東地域となります。
ヴェッツラーからフルダへ移動するのに再びフランクフルトを経由しました。
フランクフルトからフルダまでの距離はICEに乗れば約1時間、距離にすると約100kmです。
ゲーテの時代にはまだ鉄道がなかったので、移動はすべて馬車。
到着する場所はPosthalterei(郵便馬車の宿駅)でした。
ゲーテがワイマールに行く途中でしばしばフルダに立ち寄ったのは、この町が郵便馬車の休憩地点だったからだと言います。
戦災を免れた美しい街並みが残るバロックの都フルダ。
この町で、ゲーテが生きた時代のもう一つの風景に出会いました。
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ゲーテ街道は、中世の時代の街道に重なります。
フランクフルトーフルダーエアフルトーライプツィヒのルートは、王の道(Via Regia)と呼ばれた街道上にあり、これは神聖ローマ帝国時代、通行税を徴収することで領主が通行人を保護した通商や巡礼のための「公道」を意味しました。
街道沿いの道は交易だけでなく宿場町としても栄え、文化の交流地点ともなりました。
第二次大戦時の戦災でかろうじて街の20%が破壊されるにとどまったフルダには、そんな中世の古い宿場町の面影も残っています。 -
「バロックの街と言われますが、フルダには中世の街並みとバロック建築の両方が残っているのが魅力なんです」
と、フルダを案内してくれたアネッテさんは説明してくれました。
フルダの歴史的街区は、修道院地区と市民居住地区、そして領主の居住地区の3つに大きく分けられます。
バロック地区と呼ばれるのは市宮殿や大聖堂のある領主の居住地区です。 -
市民居住区は、中世の街並みが至るところに残っています。
これはこの町最古のパン屋さんの建物。 -
こちらは「夜警の家」として残っている木組の家です。
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古い街並みを入ると、こんなすてきな中庭カフェも。
アントニウス・ラーデンカフェは、食事メニューもケーキもすべてオーガニックでホームメードのお店。
ここは障害を持った人たちが働く作業工房とカフェを併設しているスペースです。
antonius LadenCafé
Severiberg 1
36037 Fulda
https://www.antonius.de/einkaufen/antonius-ladencafe.html -
ホームメードのキャロットスープに癒されました。
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ランチ休憩を挟んで、いよいよメインのバロック地区へ。
市民居住地区から道を挟んですぐなのですが、街区のスケールが大きくなっていきなり別世界という感じです。 -
8世紀、ローマ教皇の要請を受けた聖ボニファティウスがフルダに拠点をおいてゲルマン民族にキリスト教を広めました。ゆえに「ドイツ人の使徒」と呼ばれるボニファティウスは、この地の守護聖人として知られています。
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フルダ大聖堂はバチカンの聖ピエトロ大聖堂を模して造ったとされており、ここにはボニファティウスの聖遺物も納められてます。
夏には野外イベントが行われるという広大な広場が、大聖堂の威厳を高めています。
フルダがドイツのキリスト教の歴史にとって重要な街であり、第2のローマとも呼ばれるオーラがここに集約されていると感じられる光景です。大聖堂 (フルダ) 寺院・教会
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大聖堂および市宮殿前の信号機号はボニファティウスくんです。
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市宮殿の入り口で、結婚式中の新郎新婦を発見。
現在の市宮殿の一部は市役所として使われているので、ここに戸籍役場もあります。
通常、戸籍役場に来る時にはウェディングドレスなどの正装はあまりしないのですが、ここで結婚する人たちは気合を入れて正装して来る場合が多いのだそう。 -
司教座が置かれているフルダではかつて、司教が領主を勤めていました。
バロック建築の傑作といわれる市宮殿は、宗教と政治を別々の場所で行なうために建てられたもの。
18世紀初めに司教領主の邸宅としてつくられました。
領主とはいえ、聖職者の家がなんでこんなに豪華絢爛なの?と思うわけですが、領主としての権力をあらゆる形で示す必要があったのだとか。
そしてそれができる財力があったということですね。フルダ城 城・宮殿
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バロック建築の天井画の特徴は、空が開けて明るい光が差し込むというモチーフ。
1618~48年にかけて続いた30年戦争が終結し、長らく平和を待ち望んでいた人々の希望に満ちた心象風景を表していると言います。 -
こんなすてきな貴婦人が、宮殿内を案内してくれました。
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ハイライトの鏡の間。
鏡の間というのは、別に着替えをするための衣装部屋ではなく、当時の権力を示す特別な部屋だったのだとか。
フロアの一番奥にあり、この部屋で領主に謁見できることは大変な名誉だったといいます。 -
そして私が度肝を抜かれたのが、宮殿の庭園奥にあるこの建物。
これ、なんだかわかりますか? -
オランジェリー、つまり当時の温室だったのだそうです。
ここでオレンジだけでなく、パイナップルも育てていたのだとか。
今ではカフェになっていて、ここでお茶を飲むことができました。
マリティムホテルの別館として使われていて、午前中はここがホテル宿泊客の朝食ルームになるのだそうです。 -
優雅なフルダの旅の締めくくりはこちら。
ロマンティックホテルの称号を冠する「ゴールデナー・カルプフェン」でゲーテメニューのディナーをいただきました。
お店の名前の意味が「金の鯉」なので、至る所に鯉のモチーフが...ちょっと「およげ!たいやきくん」に似ている気がするのは私だけでしょうか。
Goldener Karpfen
Simpliziusbrunnen 1
36037 Fulda
+49-661 86800
www.hotel-goldener-karpfen.de -
前菜のサーモンのタルタルには、さりげなくグリューネゾーセがかかっています。
フランクフルトから100km離れてもここも同じヘッセン州。
グリューネゾーセ文化圏なのですね。 -
メインには魚をチョイス。
マスの温野菜添えは絶品でした。 -
お料理も雰囲気もサービスも超一流のレストランです。
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ゲーテはフルダに12回立ち寄ったと記録に残っています。
多くの人々が行き交った「王の道」の途上で、ゲーテもまた貴重な足跡をこの町に残しているのです。
(協賛:ドイツ観光局)
前回のヴェッツラーの旅はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11981791
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